北観音山 応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年おきの交代で山を出していたといわれる。隔年にでるというのは例がなく、この両山だけ。もとはかき山だったが、後に曳き山になった。
楊柳観音像と韋駄 天立像を安置する。鉾ではないので真木の代わりに真松を立てる。松は、毎年鳴滝から届けられ、籤で所有を決めている。
史料には「左三の枝に尾長鳥あり」とあるが、いまは鳩が留まる。
北観音山に、尾長鳥が留まっている。

俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音”の行をされる」といういい伝えがあり、「あばれ観音」の別名がある。
楊柳観音像と善財童子像を安置する。楊柳観音は、三十三観音の筆頭とされ、姿を変えて、手に柳を持ち薬師観音と同様に衆生の苦難を救う。
この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけ趺座(ふざ)する。